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漆部神社

現在、漆部神社の社名を名のるのは、海部郡にはこの神社以外にないが、本社が「式内漆部神社」を称するようになったのは、昭和32年10月21日のことである。

それ以前には、式内漆部神社の鎮座地は不詳とされていて、当社は昭和32年以前には「八大社」を称していた。

神社本庁が社名変更を許可した理由は、現漆部神社が発行する由緒書に、下記のようにあり、これも一つの根拠とされたであろう、と式内社調査報告は記している。

「当社に隣接する甚目寺を創設した甚目連公というのもその一族である。漆部神社はその氏神、甚目寺はその氏寺とされ、共にその氏人氏子によって崇敬されたのである。甚目寺御本尊の御前立である十一面観音菩薩像が尾張国唯一の乾漆像であることは、この寺が漆部の神と深い関係にあることを示す有力な証拠とされる」

また、漆部神社の読み方も、神社に掲げられていた説明板によると、「ぬりべ」となっているが、式内社調査報告では、「うるしへ」とも訓む説もあり、今は両様に訓でおきたい、としている。
 

【所在】

愛知県あま市甚目寺東門前11、甚目寺のすぐ西隣に鎮座する。

ただ、現社地は、紀元2600年を記念して甚目寺境内が拡張されたところに、第二次大戦後移転されたもので、旧社地には現在日吉社があり、「郷社八大神社」の社標が旧社地を示している。

 
 
 

日吉社に掛かる幕には、「二葉葵(ふたばあおい)」の紋。

日吉社の元になる「八大神社」は加茂・春日・祇園・稲荷・住吉・松尾・平野・貴船神社を祀っていて、「二葉葵」の紋は、加茂神社の紋にあたる。


【祭神】

祭神は、尾張氏の祖神、天火明命の五世の孫で、漆部連などの祖である「三見宿禰命」。

相殿に「八大明神(加茂・春日・祇園・稲荷・住吉・松尾・平野・貴船)」と木花咲耶姫命を祀る。

【由緒】

昭和32年10月21日、社名を「八大社」から「漆部神社」と改称した。

【社殿】


社殿は、南向きに建ち、拝殿・祭文殿・廻廊(渡殿)・本殿と続く。

本殿は、流造り。


神紋は、陰陽を表す「太極紋」で、花火の火祭りを見に行った手力雄神社と同じだ。


拝殿の中に百人一首のような絵札が掲げられていたので、なんでか、と思ったが、甚目寺をネット検索して調べたところ、鎌倉時代に甚目寺を修復した責任者の梶原景時が、「教養があり、和歌を好み、武家百人一首にも選出されている」ということで、合点がいった。


【参拝記】

2010年6月6日午後、甚目寺へ散歩に出かけたおりに、漆部神社へも参拝した。

参道を進むと「きよめはし」がある。


さらに進むと、拝殿の前に、石造りの「透かし塀」がある。


透かし塀のの上部は龍の彫り物だが、下部は、中央に「寅」と左右に「獅子」。


絵馬は、甚目寺が鳳凰山ということでか、鳳凰と太極紋。


甚目寺は、由緒ある大きなお寺で、また別の項で参拝記を記そうと思う。